発達凸凹娘との日常

2017年度に小学校入学の娘がいます。2016年10月中旬にまさかの発達障害指摘!色々もがいてるなうでございます。

自立とはなんぞや

就学判定の面談の時に、担当員のかたより「最終的に目標とするところ」

についてのお話があり、学業・社会において子供が自立していける道筋を

作っていく、と言うようなことをおっしゃっていた。

 

私たちもそれについての異論はなく、うんうん、最終的には自立だよねー

なんて軽く考えていたけれど、そもそも自立ってなんだろう。

 

親の養育のもとで生活するのではなく、仕事という経済的な糧を得て

一人で自活していくことだろうか。

うん、たぶんこれが自立に関する一般的なイメージ。

 

なので、自立するには学校を卒業して就職するというフローが不可欠になる。

でも、それこそが落とし穴になりかねないな、と思う。

 

私は娘は自立してほしいけど、その前にもっと大事なことがある。

周囲の人と関わって良い関係を築き、精神的に満たされた気持ちで

日々を送ってほしい。それが大前提の自立である。

 

私自身が経験したことだけど、ハンデを持つ人が大きく環境が変わり

辛くなる瞬間というのが学生から社会人へと立場が変わることだった。

 

学生、特に義務教育の期間は教育を受ける権利の保障があるため、

国や社会からその立場を守られる。でも社会人はそうではない。

資本主義の中で、いかに自分が社会にとって価値を作り出せるか…

守られる、ではなく攻めていく立場になる。

 

子供に障害が分かったとき、最初から親が適切な対応をできるわけではない。

子供と一緒に成長していく過程で親も勉強していき、様々な配慮や工夫で

その子供にとってベストな居心地の良い環境をつくりあげていくことができる。

 

また、障害が後天的なものではない限り、子供は障害のない一般的な世界が

どういうものかを知る術がない。親が守り続け与えていくだけだと、

居心地の良い環境がただそこにあるのが当たり前となり

なぜ自分はそれが必要なのか、そしてその環境はどのように

作り上げてきてもらっていたのかを知る機会がないままになってしまう。

 

自己と他者の違い、そして自分にとって生きやすい工夫・知恵

そういったことを自分の頭で考えられて、なおかつ

作り上げていくことができるのが自立なのではないだろうか。

 

娘には年齢・成長にあわせて、自分と他の人と違うところ、

自分にはできないところはなんなのか、自分にとってベストな工夫や

必要な配慮は何かを伝え、時には娘自身と相談して模索しながら

サポートしていきたいと思っている。